第1章 アルジュナの悲嘆のヨーガ

バガヴァッド・ギーター Bhagavad Gita Ch.1

1-20

अथ व्यवस्थितान्दृष्ट्वा धार्तराष्ट्रान्कपिध्वजः ।
प्रवृत्ते शस्त्रसम्पाते धनुरुद्यम्य पाण्डवः ।। १-२० ।।
हृषीकेशं तदा वाक्यमिदमाह महीपते ।

atha vyavasthitān dṛṣṭvā dhārtarāṣṭrān kapi-dhvajaḥ |
pravṛtte śastra-sampāte dhanu udyamya pāṇḍavaḥ || 1-20 ||
hṛṣīkeśaṃ tadā vākyam idam āha mahī-pate |

そこで戦いが始まろうとするその時、猿の旗印を掲げるパーンドゥの息子(アルジュナ)は、布陣したドリターラシトラの息子たちを見て、弓を取り上げ、
フルシーケーシャ(クリシュナ)に次の言葉を告げた。

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第20節

いよいよ戦いが始まろうとするその時、アルジュナはその心の内をクリシュナに告げ始めます。

アルジュナの掲げる旗にある猿とはハヌマーンのことです。ハヌマーンは主ラーマに忠誠を誓う献身の象徴。ラーマーヤナではラーマのために、そしてラーマの奥さんであるシータのために単身ランカー島へ乗り込み敵と戦う身体能力の高さなど、体育の神様としても崇められています。

そしてその最強コンビであるラーマとハヌマーンがパーンダヴァ軍にいるわけです(クリシュナもラーマもヴィシュヌの化身)。約束された勝利。
したがってアルジュナが行うべきことは、ただ献愛を持って目の前の戦いに全力で臨む。
それだけなのですが、その完全ではない人間の姿を描いてくれているのがバガヴァッド・ギーター。
普段なら人の愚痴なんて聞きたくないかもしれませんが、私たちの中にある迷い、苦悩、不安、そうしたものを素直に表現するその声に耳を傾けてみましょう。

1-21

अर्जुन उवाच ।
सेनयोरुभयोर्मध्ये रथं स्थापय मेऽच्युत ।। १-२१ ।।

arjuna uvāca |
senayorubhayormadhye rathaṃ sthāpaya me’cyuta || 1-21 ||

アルジュナは言った。
「両軍の間に私の戦車を止めてくれ。不滅の人よ。

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第21節

不滅の人(acyuta)とはクリシュナのことです。ここでクリシュナは純粋な献身者であるアルジュナの願いを聞き入れます。常に全てを捧げる献身者は、神にとって最も愛おしい人。そんな献身者の願いを喜んで聞き入れるクリシュナがいます。

そして両軍の間に戦車を止めることで、戦いでの中立性が表されています。

1-22

यावदेतान्निरीक्षेऽहं योद्धुकामानवस्थितान् ।
कैर्मया सह योद्धव्यमस्मिन् रणसमुद्यमे ।। १-२२ ।।

yāvadetānnirīkṣe’haṃ yoddhukāmānavasthitān |
kairmayā saha yoddhavyamasmin raṇasamudyame || 1-22 ||

私がこの戦おうとして布陣した人々を見て、この合戦の企てにおいて、誰と戦うべきかを見るまで。

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第22節

望まぬ戦いに駆り出されたアルジュナ。それは和平の交渉を聞き入れなかった強情なドゥルヨーダナがためなのですが、その避けられぬ戦いに際して、誰と戦うべきなのか、同じように望まないながらも駆り出された人々がどのような者たちなのかを再度見ようとするアルジュナがいます。

1-23

योत्स्यमानानवेक्षेऽहं य एतेऽत्र समागाताः ।
धार्तराष्ट्रस्य दुर्बुद्धेर्युद्धे प्रियचिकीर्षवः ।। १-२३ ।।

yotsyamānānavekṣe’haṃ ya ete’tra samāgatāḥ |
dhārtarāṣṭrasya durbuddheryuddhe priyacikīrṣavaḥ || 1-23 ||

私は彼らが戦おうとしているのを見る。戦争において、心の歪んだドリタラーシトラの息子を喜ばせようと、ここに集まった人々を。

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第23節

パーンダヴァの王国を悪い策略で奪い取ろうとしてきたドゥルヨーダナを始め、敵陣にいるドリタラーシトラの軍隊、兵士を前に、アルジュナはもはや一切の和平交渉も成立し得ず、ただ戦いのみがパーンダヴァを守る手段であると理解しています。

クリシュナが自軍にいる以上、勝利が約束されているパーンダヴァ軍。裏を返せば滅ぼされる運命にあるカウラヴァ軍の軍隊を目の前に、アルジュナの心にはどのような思いが浮かび上がってくるのでしょうか。

1-24

सञ्जय उवाच
एवमुक्तो हृषीकेशो गुडाकेशेन भारत ।
सेनयोरुभयोर्मध्ये स्थापयित्वा रथोत्तमम् ।। १-२४ ।।

sañjaya uvāca
evamukto hṛṣīkeśo guḍākeśena bhārata |
senayorubhayormadhye sthāpayitvā rathottamam || 1-24 ||

サンジャヤは語った。
バラタの子孫よ、アルジュナによってこのように言われたクリシュナは、両軍の間に最高の戦車を止め、

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第24節

ここではアルジュナはグダーケーシェーナと呼ばれています。グダーカーとは眠りを意味し、グダーケーシャとは「眠りを征服する者」という意味になります。

眠りとはすなわち無知であり、アルジュナはクリシュナの存在、クリシュナへの献身によって無知を乗り越えているのです。目覚めている時でも、眠っている時でも、献身者はクリシュナの名前、形、質などの全てを思っており、それがいかなる時でも私たちの無知を払い去ってくれるのです。

1-25

भीष्मद्रोणप्रमुखतः सर्वेषां च महीक्षिताम् ।
उवाच पार्थ पश्यैतान्समवेतान्कुरूनिति ।। १-२५ ।।

bhīṣma-droṇa-pramukhataḥ sarveṣāṃ ca mahīkṣitām |
uvāca pārtha paśyaitān samavetān kurūn iti || 1-25 ||

ビーシュマ、ドローナ、そして全ての王たちの前で言った。
「集結したこれらクルの一族を見よ、アルジュナ(プルターの息子)よ。」

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第25節

アルジュナに今から戦おうとしているのが自分たちの血族であることを改めて見せるクリシュナ。アルジュナに迷いを抱かせ、戦いを思いとどまらせるためにとった行動のようにも見えます。
しかし、この後、血族と争うのは嫌だというアルジュナの苦悩に対し、戦いという義務を果たすことがあなたの役目なのだとクリシュナは告げます。

一見すると矛盾があるように思えるこのクリシュナの行動。しかし、クリシュナはフルシーケーシャ、すべての感覚を司るものとして、アルジュナの心の中の動きをも理解しています。恐怖や苦悩が起こってくるであろうことをわかっているからこそ、そこから目を背けさせるのではなく、その現実を見つめさせるのです。

現実を見つめるのは時に辛いことです。できることならば不都合な現実からは目を背けやり過ごしたい。そう考えるのも人間です。人は誰しも傷つけられたくないものですから。

でも目を背けた現実は、必ずまたその人のもとに課題として現れます。私たちがそれを乗り越えるまで、何度でも現れます。
それは、宇宙が優しいから。
私たちにそこから学びを得て欲しいと思う優しさから、何度でもその課題を与えてくれるのです。

とは言っても、逃げたくなる時もありますよね。
そんな時は逃げましょう。
無理に逃げちゃダメだと自分を追い込む必要はありません。逃げられる時は、まだ逃げてもいい時なのです。
大丈夫。課題は逃げてもまたやってきてくれますから。絶対に解決しなければならない時、その時は逃げられないようになっています。
だから、自分を無理に追い込む必要はありません。
大切なのは、その逃げられない時に備えて常に自分の心を磨いておくこと。
逃げられない時に、その課題を解決できるように心を整えておくこと。

今回アルジュナにはクリシュナがついています。すなわちアルジュナが絶対に課題を乗り越えられる時であることがわかっているからこそ、クリシュナは逃げられない現実をアルジュナに見せつけるのです。

苦悩、悲しみ、迷い。それらが現れても大丈夫。絶対に乗り越えられるから。
そんなクリシュナの優しさから、クリシュナはこの一言を投げかけるのです。

ちなみにプルターとはクンティのことで、アルジュナのお母さんです。そしてクンティはクリシュナのお父さんであるヴァースデーヴァの妹にあたります。

1-26

तत्रापश्यत्स्थितान्पार्थः पितॄनथपितामहान् ।
आचार्यान्मातुलान्भ्रातॄन्पुत्रान्पौत्रान्सखींस्तथा ।
श्वशुरान्सुहृदश्चैव सेनयोरुभयोरपि ।। १-२६ ।।

tatrāpaśyat sthitān pārthaḥ pitṝn atha pitāmahān |
ācāryān mātulān bhrātṝn putrān pautrān sakhīṃs tathā |
śvaśurān suhṛdaś caiva senayor ubhayor api || 1-26 ||

アルジュナはそこに、父親、祖父、師、叔父、兄弟、息子、孫、友人たちが立っているのを見た。更に、義父、親友たちを見た。両軍の間に。

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第26節

改めて戦いの相手が親族であることを目の当たりにするアルジュナ。その時のアルジュナの心はクリシュナの思った通りに動きます。

1-27

तान्समीक्ष्य स कौन्तेयः सर्वान्बन्धूनवस्थितान् ।
कृपया परयाविष्टो विषीदन्निदम्ब्रवीत् ।। १-२७ ।।

tān samīkṣya sa kaunteyaḥ sarvān bandhūn avasthitān |
kṛpayā parayāviṣṭo viṣīdannidam abravīt || 1-27 ||

アルジュナはこれらすべての縁者が立っているのを見て、この上ない悲哀を感じて沈みこみ、次のように言った。

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第27節

そう。その心に浮かぶのは悲哀。

どんなに嫌なことをされてもやはり親族や友達を殺したくない。

1-28

अर्जुन उवाच ।
दृष्ट्वेमं स्वजनं कृष्ण युयुत्सुं समुपसथितम् ।
सीदन्ति मम गात्राणि मुखं च परिशुष्यति ।। १-२८ ।।

arjuna uvāca |
dṛṣṭvemaṃ svajanaṃ kṛṣṇa yuyutsuṃ samupasthitam |
sīdanti mama gārtāṇi mukhaṃ ca pariśuṣyati || 1-28 ||

アルジュナは言った。
「クリシュナよ、戦おうとして立ちならぶこれらの親族を見て、私の四肢は力を失い、口は干涸び、

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第28節

その気持ちはアルジュナの純粋な献身者として当然の心の動きです。
私利私欲に目が眩んで仲間を家族を命とも思わないような献身の心のない人間ではなく、周りの命を大切に思うからこそ、手足に力が入らず、口も乾いてくる。

それはアルジュナが弱いからではなく、心が優しいから。

どんなに知識があっても、どんなに教養があっても、自分を取り囲んでくれている命に感謝をし、慈悲の心を抱かない人は人間としての成長を遂げた人とは言えません。

1-29

वेपथुश्च शरीरे मे रोमहर्षश्च जायते ।
गाण्डीवं स्रंसते हस्तात्त्वक्चैव परिदह्यते ।। १-२९ ।।

vepathuś ca śarīre me romaharṣaś ca jāyate |
gāṇḍīvaṃ sraṃsate hastāt tvak caiva paridahyate || 1-29 ||

私の身体は震え、総毛立つ。ガーンディーヴァ弓は手から落ち、皮膚は焼かれるようだ。

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第29節

肉体を「私」と見るがゆえに、その肉体を失うこと(奪うこと)に恐怖を感じるアルジュナ。その肉体への恐怖は肉体へと表れます。
体が震え、身体中の毛が逆立ち、皮膚が焼ける。そしてシヴァよりパーシュパタと共にもらった愛弓ガーンディヴァを持つ手にも力が入りません。

1-30

न च शक्नोम्यवस्थातुं भ्रमतीव च मे मनः ।
निमित्तानि च पश्यामि विपरीतानि केशव ।। १-३० ।।

na ca śaknomyavasthātuṃ bhramatīva ca me manaḥ |
nimittāni ca paśyāmi viparītāni keśava || 1-30 ||

私は立っていることができない。私の心はさまようかのようだ。私はまた不吉な兆を見る。クリシュナよ。

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第30節

心(マナス)もさまよい始めます。

反応する心マナス。大きな宇宙がアレンジしてくれた出来事に対して、自分のエゴというフィルターを通して反応する心。

そんな心がアルジュナに起こってもいない出来事への不安をもたらします。

人間はその大きな脳味噌を得ることによって想像力を豊かにすることができました。
その豊かな想像力は、たくさんの幸せを思い描く想像力となる一方で、
起こるかどうかもわからない将来への心配や、
もう起こってしまった過去への後悔を生み出します。

心配と後悔は想像力の無駄遣い。
せっかく与えられたこの能力を、周りのすべての幸せをどうしたら叶えられるだろうか、そんな風に使っていきたいものですね。

1-31

न च श्रेयोऽनुपश्यामि हत्वा स्वजनमाहवे ।
न काङ्क्षे विजयं कृष्ण न च राज्यं सुखानि च ।। १-३१ ।।

na ca śreyo’nupaśyāmi hatvā svajanam āhave |
na kāṅkṣe vijayaṃ kṛṣṇa na ca rājyaṃ sukhāni ca || 1-31 ||

戦いにおいて親族を殺せば、よい結果にはなるまい。クリシュナよ、私は勝利を望まない。王国や幸福をも望まない。

『バガヴァッド・ギーター』第1章 第31節

ヴェーダではそれぞれの人の役割に応じて、人々はそれぞれヴァルナに属するとされています。
ヴァルナは以下の4つからなっています。

  • バラモン:祭祀、宗教的儀式を執り行う人々
  • クシャトリヤ:政治、軍事を行う人々
  • ヴァイシャ:農業、商業を行う人々
  • シュードラ:他のヴァルナに仕える人々

アルジュナはクシャトリヤに属する王族です。
その義務は戦うこと、国を治めること。
しかしアルジュナは自分に定められた義務を放棄し、戦いも望まなければ、国も望まないと言い出します。

それは前述したようにアルジュナが親族を殺したくないという優しさからくるものではあるのですが、その一方で自分に与えられた義務ではなく、自分の親族という物質的なものを優先させようとしている心から来たものでもあります。

自分に与えられた役割(ダルマ)を全うすること。
それは大きな宇宙の法則との調和を意味します。
宇宙と調和した行動を取るのであれば、そこから生まれる結果も全て宇宙と調和したものになります。
「良い結果にはなるまい」とアルジュナが想像した結果すらも、宇宙の調和のために訪れた結果なのです。

私たちも自分たちの行う行動に対してどうしても結果を重視しがちです。
こんなに努力したのに認めてもらえない。
こんなに勉強したのに合格できなかった。
そんな時もあるでしょう。
結果が自分の期待通りでないことに嘆き悲しむことを繰り返すと、私たちは努力って無駄なのかも……と行動をしなくなってしまいます。
さらには期待通りの結果が得られないことに対して、認めてくれない上司に怒りを感じたり、合格できなかったことに腹を立てて、自分や他人を傷つけたり。

しかし、与えられた結果は決して期待通りではないわけではありません。
ちっぽけな自分というフィルターを通して見た結果は期待通りではないかもしれないけれど、大きな宇宙の意志からすれば「期待通り」。
すべてが宇宙の調和のために、私たちの幸せのためにアレンジされた結果なのです。

どんな結果でもそれをギフトとして受け取り、その結果が伝えてくれているメッセージを謙虚に受け取り、自分の心の成長の糧とする。

自分の目の前に与えられた役割を、今の自分の100%の力で行うこと。
それこそがダルマに沿った生き方であり、その生き方の先に私たちの人間としての成長があるのです。

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